桃の節句 [五節句]
今日は桃の節句。雛祭りの日です。
雛人形と桃の花を飾り、女の子の無事成長と健康を願う行事です。
もともとは「上巳(じょうし)の節句」と呼ばれ、貴族の健康厄除け祈願でしたが、時代を経るにつれて次第に子供の厄除け・健康無事成長祈願へと対象が変わっていき、呼び方も「桃の節句」や「雛祭り」と呼ばれるようになりました。
現在のようなお内裏様・お雛様のお人形さんを飾るようになったのは江戸時代あたりからで、それより前は紙で出来た「ひいな」と言う人形でした。
これは、紙人形を自分の身代わりとし、それを川に流すことによって災厄を祓おうという意味がありました。これを「流し雛」といいます。地域によってはこの流し雛の風習は残っていますが、神道で執り行なう「夏越大祓神事」においても、紙人形を自分の身代わりとして川に流します。
桃には古くから悪鬼退散・魔除けの力があるとされています。
日本神話においてイザナギノミコトという神様が、暗い暗い黄泉の国から脱出する際に、後を追いかけてきた悪鬼たちから逃げる途中、桃の実を投げつけて退散させたという話があります。また、節分祭、桃の木で作られた桃の弓を使って鬼を退散させる神事があります。
このように古くから桃の木・桃の実には魔物を退散させる力があると言われており、桃の邪気を祓う力により、お子様がすくすくと成長することをお祈りする、大切な行事がひな祭り、桃の節句なのです。
端午の節句 [五節句]
今日は端午の節句。こどもの日です。立身出世の鯉のぼりを上げて、無事成長の五月人形を飾り、子孫繁栄の柏餅を食べ、厄除け病気除けの菖蒲湯に入る習わしがあります。
今日はめでたい一日ということで、お宮の内外でも祭典が重なりました。
こちらは地鎮祭です。
地鎮祭はとの土地神様に土地を頂き、家を建てることを許可いただくお祭りです。
こちらは境内の様子です。お宮参りの方が大勢いらっしゃいました。
お子様の無事成長を祈念申し上げました。
こちらは、結婚奉告祭をされたご夫婦です。
亀ヶ池八幡宮は氏神様ということで、大神様のご加護のもと、夫婦の絆が永遠でありますようお祝い申し上げました。
今日はめでたい一日。
境内には皆さんの笑い声が絶えませんでした。
桃の節句 [五節句]
本日は、暖かな一日になりました。
さて、今日は桃の節句「おひな祭りの日」です。
おひな祭りは平安時代の貴族の行事より始まり、江戸時代から一般民衆の行事として広まり定着しました。
今では年中行事(五節句のうちの一つ)でありますが、昔は意味深い行事でした。
お雛様・・・雛人形は病気や災厄から子供を守る身代わり人形だったのです。
原初の雛人形は紙でできた人形(大祓で使われる人形代のようなもの)に和紙で着物を着せて、ひな祭りが終わると
諸々の厄を背負ってもらったそれを川に流しておりました。
しかし、元禄文化以降になると、紙人形は今のような人形になり江戸時代になり定着したのです。
現在は古くなった人形を神社に引き取っていただき、お祓いののち、焼納することによって諸災を背負った人形を浄化する「人形お焚き上げ」が行われるようになりました。
現在、お子さまの無事成長を願う伝統行事として広く行われています。
七夕 [五節句]
今日は小暑です。
二十四節気のうちの一つで、この小暑になると梅雨明けが近づき夏の足音が近づいてくると言われています。
今年は早い入梅でしたので、梅雨明けが待ち遠しい今日この頃です。
また本日は七夕でもあります。
五節句のうちの一つ「七夕しちせき」の節句と呼びます。
織姫・彦星が年に一度会うことが許されると言われている日ですね。
古くは平安時代に貴族の間で流行した「きこうでん」という行事がもとと言われています。
七夕には笹を立てて、お願い事を書いた短冊を吊るすと願い事が叶うといわれていますが、もともとは、五色の糸などを笹に結びつけて飾り、裁縫や芸事の上達を祈ったのが始まりと言われてます。
そして、七夕にはお素麺を食べる風習があります。
白いお素麺の中にピンクや緑色の色付きの麺が入っていたり、みかんやさんらんぼが入っていたりするのをよく見ますが、これは「索餅(さくべい)」というお菓子に由来します。
これはその昔中国で七夕の日に熱病で亡くなった子供の霊が熱病を起こす鬼となり、それを鎮めて病気に罹らないようにするおまじないのために作ったお菓子です。
しかし、時代を下るにつれて作りやすく、食べやすいお素麺になって広まったと言われてます。
今夜は是非、ご家族でお素麺を食べて七夕の夜に思いを馳せてみては如何でしょうか。
こどもの日 [五節句]
今日はこどもの日です。
正式には「端午の節句」という年に5回ある節句の一つです。
この日には、子供の無事成長・立身出世を願って鯉のぼりをあげたり、厄除けに武者人形や金太郎さんなどの勇ましいお人形を飾ります。
今日はおやつに柏餅を食べて、菖蒲湯に入りましょう。
雛祭り [五節句]
儀式殿での会議の様子
皆さんのお家でもきっと、お雛様が飾られている事でしょう。
上巳というのは三月上旬の巳の日という意味です。
何故、巳の日になったのか由来は定かではありませんが、この日は川辺に出て禊を行ない、身のケガレや災厄を祓いました。
平安時代になると、曲水の宴という貴族の楽しむ詩歌ゲームが催されたり、桃の葉のお風呂に入ったり、桃で作ったお酒を飲んだりして心身の魔除けといたしました。
いまでも、この日に桃の花を飾ったりするのはその名残と言えましょう
七夕 [五節句]
本日は、七夕です。
七夕は、五節句のうちの一つにあたります。
もともとはこの日「棚機津女(たなばたつめ)」と呼ばれる女性が厄除けのための織物をし、それを神様に供えたのが始まりでしたが、平安時代になると笹に五色の糸を結びつけ、江戸時代になると短冊に詩歌を書き、明治以降になると詩歌の変わりにお願い事を書いて吊るすという風習になっていきました。
また、七夕といえば「織姫(おりひめ)・彦星(ひこぼし)」こと「織女(しょくじょ)・牽牛(けんぎゅう)」のお話で有名ですね。
織女は牽牛の事が好きで、結婚をするために毎日機織に勤しんでいました。
しかし、結婚して仲良く暮らしているうちに機織を休む日が続いてしまった為、織女のお父さんは怒って二人を天の川を挟んだ両岸に住まわせてしまいました。
織女は悲しくそして、寂しく思い毎日泣き暮らしていたところに、織女のお父さんが現れて、毎日機織を頑張ったら七月七日の七夕の日だけは牽牛と逢うことを許してくれました。
もし、その日雨が降って天の川の水位が上がったときには鳥の群れをよこして、牽牛のところへ行けるようにしてあげたのです。
というお話が有名ですけれども、実際には織姫は、こと座のベガ星・わし座のアルタイル星をそれぞれ織姫・彦星と見立てているとも言われています。
天の川の水位が上がったときに現れる鳥は「はくちょう座」のデネブ星と見立てられ、この「こと座のベガ」「わし座のアルタイル」「はくちょう座のデネブ」を俗に言う「夏の大三角形」といいます。
今年の七夕は雨が降ってしまいましたが、これからあと暫くすると夏休みに入ります。
家族みんなで夏の夜空を見上げて星座観察をしてみてはいかがですか?
ちなみに夏の星座で有名なものに、さそり座がありますが、その中心にアンタレスという赤く光る星が見えます。
これは、さそり座の心臓とも言われていて、夜遅くに南の空に見ることができます。
アンタレスがある場所が実際のさそりの心臓の位置と同じと言われています。
端午の節句 [五節句]
本日は「こどもの日」であり、「立夏」でもあります。
「立夏」というのは二十四節気の一つで、この頃から段々と夏の訪れを感じられるようになると言われています。
さて。
本日は「こどもの日」ですが、正式には「端午の節句」や「菖蒲の節句」と呼ばれ、日本の五つの節句のうちの一つになります。
古くは奈良時代に始まり、平安時代には貴族の宮廷行事であり、鎌倉時代には武家の行事、と変遷をたどり、今現在のような「鯉のぼり」や「武者人形」を飾る形態になったのは江戸時代とされています。
端午の節句に鯉のぼりを上げるのは、鯉は滝を登ると龍になるという故事にちなみ、男の子が「立身出世」をするように。
武者人形を飾るのは、鎧という防具が邪気や病気、災厄から身を守るというために。
それぞれ飾ります。
このゴールデンウィーク中、相模原市南区磯部では「相模大凧まつり」、中央区田名相模川流域では「泳げ鯉のぼり相模川」というイベントが行われました。
大凧祭りは明治時代から本格的に行われている行事で、初めは子供の誕生を祝ってのものでしたが、しだいに地域のつながりを深めるためのイベントになりました。
泳げ鯉のぼりは、昭和63年から開催され続けている、相模原の代表的なイベントです。1200匹の鯉のぼりが勇壮に、華麗に空を泳いでいました。
1200匹もの鯉のぼりがいっせいに風にたなびいて空を泳ぐ様子はまさに爽快なものであります。
話は戻って。
また、端午の節句で欠かせないのが菖蒲湯と柏餅ですね。
菖蒲はその葉が刃に似ているという事や、菖蒲は匂いが強いので邪気を祓うとされています。
また、菖蒲は薬草であるので、それを浮かべたお風呂に入ると病気にならないといわれています。
柏餅は柏の葉っぱに餅をはさんだお菓子ですが、柏の葉は新しい芽を出すまで古い葉を落とすことが無いので、家督が絶えないという意味と、餅は古来から神様へのお供え物とされてきた神聖な食べ物ですので、縁起の良い食べ物という意味があります。
皆さんも、鯉のぼりにお子さんの立身出世を託し、家族みんなで菖蒲湯に浸かってみては如何でしょうか。